聖書の黙想（下館聖公教会）
20章19節、20節の物語から考えてみたい。先週の福音書には、イエス・キリストの墓に出かけた人々が恐れにとらわれていたことが記されていた。今日の福音書も、弟子達が抱いていた「恐れ」からはじまっている。ただ、先週の福音書に出てきた人たちが、復活のできごとそのものに恐れを感じていたのに対して、きょうの福音書の弟子たちは復活のできごとに対してではなく、自分たちを取り囲むユダヤ人たちに対して、恐れの気持ちを抱いていた。
エルサレムという大きな町で、イエスは処刑された。見世物のように人々の敵意の前にさらされ、人々のあざけりの中でイエスは死んでいった。弟子たちはそのことをよく知っていた。人々のあざけりと敵意が、今度は自分たちに、イエスと一緒にいた自分たちに向けられるかもしれないと、弟子たちは感じていた。だからだれかの家に集まり、戸に鍵をかけ、息を潜めて閉じこもっているしかなかった。
こんなときにイエスがいてくれたらと思っていた弟子もいたかもしれない。しかし自分たちがイエスを守ることもできず、イエスを見捨てて逃げ出したということもまた、弟子たちにはよくわかっていた。だから弟子たちは。ユダヤ人を恐れると同時に、深い自責の念、自分を責める思いにもとらわれていたはず。自分たちがもっとも深く敬愛する方を、もっとも深いところで裏切ってしまった。そしてそのことは、もはやとりかえしがつかない。イエスは死んでしまったのだから、謝ることもできない。どんなに自分を責めてみても、そこから何も生まれない。たとえ周囲にユダヤ人の敵意を感じなかったとしても、この弟子たちはどこに行くこともできなかった。どこに行く当てもない人生に、弟子たちは落ち込んでしまった。
そこに突然イエス・キリストが現れた。裏切り者である弟子たちのところに、イエスのほうからもどって来てくださった。弟子たちはすなおに喜んだ。目の前にイエスがいるということは、死んだ者が生き返ったということ。それは信じられないようなできごとだったが、しかし弟子たちにとってこれ以上にうれしいことはなかったはず。会いたいけれど、もう二度と会えない、その相手にもう一度会うことができたのだから。
イエスは弟子たちに、「あなたがたに平和があるように」と声をかけた。自分を裏切って逃げ出した者たちを批判する言葉も叱る言葉もなかった。「あなたがたに平和があるように」という言葉は、この当時の人たちには「こんにちは」というようなあいさつの言葉だったのだが、ひとかけらの平和も持ち合わせていない弟子たちにとって、このときこれ以上にうれしい言葉はなかったはず。
「あなたがたに平和があるように」と声をかけたイエスは、ご自分の手とわき腹とを弟子たちに見せた。手には十字架に釘付けられたときの傷が残り、わき腹には槍で刺された傷が残っていた。それを見せたということの意味は、「ほんとうにわたしがもどってきたのだ。あの十字架の上で死んだわたしが、今いちどいのちをまとってここにいるのだ」ということを弟子たちに示すため。「あなたがたに平和があるように」という言葉にも深い配慮が感じられるが、傷を見せるという動作の中にも、ほんとうにイエスなのかと疑ったり、幽霊ではないかとおびえたりするかもしれない弟子たちの心に対する配慮が感じられる。
イエスのからだにまだ傷が残るということは、大切な意味を含んでいる。傷が残るということは、まだ痛みから解放されていないということ。復活はしたけれど、まだからだは治りきったわけではないということ。自分が少しずつからだの力を奪われ、死んでいったという記憶もまだ生々しいということ。十字架刑は激痛のうちに少しずつ力を失い、長い時間をかけて死に至る過酷な刑だった。十字架にさらされたショックも、まだイエスの中にはあったかもしれない。心とからだに傷を抱えたまま、しかしイエスはみんなのところにもどってきてくれた。自分の傷を思うよりも、人々の心の傷を思った。だから「あなたがたに平和があるように」という言葉が出てきた。
イエス・キリストがわたしたちに向けてくれている思いがここに示されている。裏切って逃げた者たちに対してこの思いが向けられている。裏切って顔向けもできない者たちに慰めの言葉がかけられる。なぜそこまでしてくださるのか。それはだれにもわからない。なぜかその理由はわからないが、しかし深い愛が向けられているということはわかる。
弟子たちに向けられた深い愛、自分のことは一切顧みずに向けられる愛は、わたしたちにも向けられている。なぜかはわからない。なぜわたしたちのような者にも愛がもたらされるのかはわからない。しかしイエスの愛はたしかに向けられている。そのことをわたしたちは忘れずにいたい。わたしたちが自らの心にあるいはこの世界に平和を失っているそのときに、「あなたがたに平和があるように」と告げてくださるイエス・キリストがいてくれる。そのことを、今日わたしたちは確認したい。わたしたちは神の愛、イエスの愛の中にいる。愛をいただいたわたしたちは、愛のない世界に愛を配る者となる。「平和があるように」と告げられたわたしたちは、平和のない世界、平和が損なわれている世界に向かって、平和を告げる者となる。
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